「夫婦別姓について その2(8/21)」に関するレス

 
8月21日の記述にコメントがいっぱい付いている。正直、うれしい。
喜ぶけろすけさんの気持ちが、ちょっと分かる今日この頃。
http://blog.livedoor.jp/kerosuke_i/archives/50012968.html
ただしtemaの場合、同意して貰うのは嬉しいが反論してもらった方が興味を持つ。ここが、けろすけさんと違うところ、と思いたい。
 
というわけで今回は、御神崎さん、たんぽぽさんへのレスを記述する。

御神崎さん、たんぽぽさんへ
 
 まず、論点の整理をさせて下さい。
 
 母親が家に居る家庭に比べ、居ない家庭は...
 
  1.家庭の結びつきという点で、善いのか悪いのか
  2.家庭の結びつきが、強くなるのか弱くなるのか
  3.家庭の結びつきへの影響は、強いのか弱いのか
 
 ここで、「影響」は変化の大きさを示しており、(善い/悪い・強くなる/弱くなる、などの)方向性は問いません。
 
 temaは上記3を示すために記述しており、御神崎さんはその記述を上記1と認識している...と思っていましたが、多分これはtemaの誤解です。
 「母親が家に居る/居ないは、家庭の結びつきと関係するのか」これが、お二方の主張なのでしょう。
 
 temaは「母親が家に居る/居ないは、家庭の結びつきと関係する」と思っていました。
 データ的な根拠は有りません。
 ロジック的な根拠としては、以下を考えていました。
 
  a.家族の結びつきは、家族間のコミュニケーションの量に関係する
  b.母親が家に居ない場合、母親−子供間のコミュニケーション可能な時間が減る
  c.コミュニケーション可能な時間が減れば、コミュニケーションの量も減る
  d.よって、母親が家に居る/居ないは、家族の結びつきに関連する
  e.なお、父親が家に居た場合は、この限りでは無い
 
 しかし、改めて考えるに、上記のロジックには無理があります。
 「コミュニケーションが可能な時間」と「コミュニケーション量」とは比例するわけではありません。その他にも、コミュニケーションの「質」を考慮してない、家庭の結びつきはコミュニケーションだけと関連しているわけでは無い、などの問題点があります。
 
 上記のことより、たんぽぽさんの
>いわゆる「標準家庭」が、リスクゼロの「正しい」家庭であり、
>そこからのずれで、リスクの大きさが定まる、と考えている、
>という点では、別姓反対派と、おなじ発想じゃないかな...?
 というコメントは、『リスクゼロの「正しい」』という所は反論したいですが、『別姓反対派と、おなじ発想』という所は当たっています。

 
上記の通り、多分論点がずれていたのであるが、2回の御神崎さんのコメントではtemaは気づかなかった。3回目のたんぽぽさんのコメントが無ければ、当分の間、気づかなかっただろう。
なぜ、気づかなかったのか? もしかすると、「自分が正しい」という思い込みが発生した場合、相手の言うことが認められなくなるだけでなく、相手の言っていることを誤解しやすくなるのかも知れない。
ひょっとすると、同様のことが、別姓反対派の心の中でも発生しているのかも知れない。