*1 のだめカンタービレ

 
もともとは、義妹が買っているマンガ。でも、読み返した回数はtemaの方が多いだろう。

マンガ内の小ネタである「スーパーひとし君(ポイント2倍)」を、いち早く指摘し感嘆を浴びたが、同時に義兄の権威が失墜したような気もする。
 
主人公とその仲間達は音大生である*1。理系の大学に行ったtemaは、文学部とか教養学部といった文系学部が何を学んでいるのか、良く判らない。ましてや、音楽学部とか芸術学部といった学部になると、想像もつかなかった。
 
このマンガを読んでも未だに想像はつかないが、彼・彼女らが大学生にも関わらず、努力をしている事は判る。文系に比べ理系大学生は勉強している、と言われるがとんでもない。日本で最も努力している大学生は、芸術系の学部生である(マンガの中だけでなく、実生活で知り合った芸術系の大学生は、皆、努力している)。
 
副主人公の千秋は、指揮者志望である。指揮者は、演奏者以上に勉強をしなくてはならないらしい。譜面を解釈し、それに沿って指揮するわけであるが、譜面の解釈にも正しい解釈と誤った解釈が存在するらしい。
ピンと来ない。
譜面がある以上、指揮者が変えられるのはテンポと音量だけである。それに、どのような正誤があると言うのか?
 
また、彼が指揮をしている最中に、時折「和音の解決」という言葉が出てくる。これも何のことやら判らない。解決すべき問題は何なのか、なぜ和音で解決できるのか、そもそも和音など最初から譜面に記述されているではないか。
 
多分、音楽学を学んだ人にのみ同感できる内容が、多々あるのだ。ちょっと悔しい。
たとえるならば、数学を学んだ人のみが判る「宇宙船オロモルフ号の冒険」(石原藤夫)のようなものである。数学を学ばない人にとって、如何に判らないか、「宇宙船オロモルフ号の冒険」の内容を一部、以下に(二次)引用する。

 飛翔体を内に捕えるための運動は、縁部{ペリフェラル}をそのままにして中心部を渦巻かせることに等しかったため、“それ”の時空形状にいちじるしい非正則性が生じたのである。
 飛翔体はあざやかに敵をあざむきながら、非ケプラー軌道を飛び、“それ”の非正則性をさらに増大させた。
 渦は次第にはげしくなり、ついに、“それ”の存在は多重構造をとりはじめた。すなわち、中心部の時空に枝点{ブランチ・ポイント}ができ、無数のリーマン面が発生したのである。“それ”の存在の大部分は初期値リーマン面に巻きこまれ、“現在”に姿を見せることが困難になってきた。
(中略)
 飛翔体は驕り、亢ぶり、さらに非ケプラー軌道上のスピードを増した。もはや解析接続は不可能となり、“それ”の存在は特異点{シンギュラー・ポイント}の留数でしかありえなくなったようにみえた。
(http://www5a.biglobe.ne.jp/~sakatam/book/r002.html#holomorphe)

正直、すまんかった。temaも全然判らん。
話を、のだめに戻そう。
 

以後、ネタバレ注意

のだめの部屋はとても散らかっている。もう抜群というか絞り立てというか、凄い状態である。憶測であるが、掃除ができないのでは無い。しないのだ。
また、のだめは美容院に行かない。髪の毛は自分で切る。それどころか、風呂に入らず食事も摂らないことがある。
 
一部の芸術家は、自分の美意識を確立しており、他人の目をあまり気にしない。物事の優先順位が多くの人と違うが、それを気にすることも無い。いや、人によっては、周りにいる人々が、皆同じように美意識を確立しているため、自分の常識が他人の非常識であることを知らない場合もある。
 
のだめの奇行は、上記の感覚に支えられている。このため、本人は常識的な行動をとっているつもりであり、千秋の怒鳴り声は耳に届いても心には届いていない。なぜ彼が怒っているのか、納得してないのだ。
だから、千秋がのだめを変えようとしても簡単にはいかない。無理、と言って良い。諦めて、踏み込んでしまった「変態の森」で一緒に暮らすのが良かろう。
 
なお、マンガだと面白いのだが、現実に「のだめな人」が身近にいると大変である。
temaも、昨日ちゃんと掃除した部屋に帰ってきてみると、抜群かつ絞り立てな状態になっており、幾度「ぎゃぼ...」となったことか...

のだめカンタービレ(13) (KC KISS)

のだめカンタービレ(13) (KC KISS)


(付記 2005.10.11)
「宇宙船オロモルフ号の冒険」の記述は、コメント量が少ないため、「引用」で無く「転載」となりかねない。
「引用」とするため、temaの解釈を追記しておく。当たってるかどうかは判らない。というかtema自身が読んでもアレな点がままあるが、致し方ない。
 
「宇宙船オロモルフ号の冒険」において、宇宙は複素平面*2の暗喩として、平和は正則性*3の暗喩として書かれている。
 
複素平面(極座標系)において、回転はかけ算と同等である。このため、「縁部をそのままにして中心部を渦巻かせる」とは、「中心部(原点)に近づく程、何度もかけ算すること」と同等になる。
この操作(かけ算)を通常のX−Y座標系で行うと、中心部の値は増大していくことになる。しかも実数軸上の点を考えると、中心部から右側の点はプラスの方向に増大していき、左側の点はマイナスの方向に増大していく。このような状態を進めると、中心部は値が急激に変動する微分不可能な点(特異点)となる*4。つまり、非正則性が生ずる。
 
ケプラー軌道は太陽に対する惑星の軌道であり、滑らかな微分可能な軌道である。一方、非ケプラー軌道には微分不可能な軌道(カクカクと折れ曲がる軌道)が含まれる。飛翔体は、(微分不可能な軌道に近い)非ケプラー軌道を飛ぶことにより、追いかける”それ”に対して、微分不可能な動きをさせた。このことにより、”それ”の非正則性をさらに増大させ、ついには”それ”を特異点として封じ込めたのである。。
 
このようにして”それ”を特異点とすると、特異点が存在するため正則では無いのだが、留数*5定理というテクニックにより(特異点は無かったこととして)積分は可能となる。
微分積分の違いはあるが、特異点以外においては微分可能であるし影響は限られた範囲に留まるため、実害は低い。
 
このようにして、オロモルフ号は”それ”の悪影響を封じ込めようとしたのである。
 
リーマン面については−−−それについては聞くな、聞いてくれるな。

*1:少なくとも始めの内は

*2:横軸が実数で縦軸が虚数のアレ

*3:微分可能、すなわち滑らかであること

*4:イメージとしては、タンジェントのグラフを想像して欲しい

*5:特異点の廻りを、くるりんと1周した積分