ディジー

 
この日だけは、「temaの日記」ではありません。
言うなれば「『temaの中の人』の日記」です。
temaの中の人はtemaとは別人格ですので、ご注意下さい。
 
知り合いに彼女を紹介する時、「つれあい」と紹介するのが好きだった。
「妻」という単語は名詞であり、ラベルでしか無い。でも「つれあい」は「連れ合う」という動詞を含み、意志を表している。
でも、いつの頃からか、彼女は「妻」になっていたらしい。
 
彼女は今日、家を出ていった。
戻って来る確率は50%程度、と想像している。
50%は微妙な数値である。何もせずに待つことが出来るほど高くは無く、私の親や彼女を知ってる近しい人々に相談するほど低くは無い。
 
今回、彼女が家を出ていった原因は、会ったことも無い他人に有る。少なくとも、私にとっての真実はそうだ。その他人に責任を負わせたいところだが、多分、本質的な問題は−「つれあい」が「妻」になってしまった理由は−私と彼女の関係にあるのだろう。
 
私には、彼女の夢を共有できない。彼女の夢を実現させるために協力は惜しまないつもりだが、それは彼女が夢を実現させて喜ぶ姿が見たいからである。彼女の夢を自分の夢として、実現したいからでは無い。
一方、私は彼女のような夢を持っていない。少なくとも、彼女が共有したいと思える夢は持っていない。
彼女にとって共通の夢を持つことは、夫婦にとって必要不可欠らしい。しかし、私には納得できない。
 
もしかすると、「夢の共有」が理由では無いのかも知れない。単に私に飽きただけなのかも知れない。
それ以前に、理由など無いのかも知れない。彼女は「別れたい」という感情だけがあり、「夢の共有」は私や自分自身を納得させるための言い訳なのかも知れない。
 
彼女から本気で「別れたい」と言われて3週間、彼女を引き留める方法を考えてきた。
切っ掛けを与えてしまった事を、後悔した。ただ、この切っ掛けが原因ならば、対応方法は考えついた。時間はかかるだろうが、いずれ目的は達成できるだろう。
ただし、彼女が出ていく理由が「夢の共有」や「理由無し」であれば、たとえ目的を達成できたとしても彼女は帰ってこない。
そして、その確率は、多分100%に近い。
 

夢ばかり見ていた

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