日本沈没
結構前であるが、映画「日本沈没」を観た。
この映画、悪い評判を色々聞いていた。
小松左京が書いた原作は緻密である。
膨大な科学理論・事実を調査し、それを基に緻密な論理展開を行い、最終的にはベラボウなトンデモS.F.理論を構築している。
通常の読者ならばその情報量とロジックに圧倒され、まず突っ込み所は見つけられない。少なくとも出版当時はそうだったハズだ。
それに比べてこの映画、突っ込み所が多い。小松左京ファンが否定したくなる気持ちは分かる。
分かるのだが、映画としてはかなり良かった。心に残るものや人生の指針となる映画では無いが、エンターテイメントとして良い出来だと思う*1。
「映画」と「小説」を比べた場合、媒体としての情報量は「映画」の方が桁違いに多い。
しかし「映画を観ている人」と「小説を読んでいる人」を比べた場合、脳が(ロジックとして)処理する情報量は「小説を読んでる人」の方が多くなりうる。
ロジックは言葉を使って作られる。このため、映画を観ている人の脳は
a. 映像を言葉に変換
b. 言葉を基にロジックを構築・検討
という2種類の作業を行う必要がある。
単位時間当たりの脳の情報処理量が一定ならば、a.の処理を行う分、映画は小説より少ないロジックしか処理できない。
膨大な科学理論と緻密な論理を持つ小松左京の原作は、そのまま映画化するにはロジックが重すぎるのである。
一方、感情は五感により導かれる。このため、映画は小説より感動の面で効率が良い。
映画「日本沈没」は、原作のロジック部を切り捨てて感動の部分に特化している。これは良い判断だと思う。
以下、ネタバレ注意!
それにしてもベタな映画である。もう先が読めるよめる。
先が読めて、その通りに話が進んでいくにも関わらず感動してしまうのはちょっと悔しい。
このため、気にいらない点をあげつらう。
1.「奇跡は起きます。起こして見せます」
小野寺が4,000mの深海にわだつみ2000で潜ろうとする際のセリフである。
ずっと展示していた探査船で潜ろうというのも無茶なら、2,000mしか潜れない探査船で4,000m潜るのも無茶である。もし潜れたら確かに奇跡である。
ただし、奇跡は人が起こすのでは無い、神様が起こすことだ。
人は奇跡が起きる条件を整えることしかできない。
2.主題歌の使い方
小野寺と阿部が最後の別れを告げるシーンで主題歌が流れた。
あのシーンで主題歌が流れるのは、あんまりだ。東映まんが祭りじゃないんだから。
3.シミュレーション結果が出た際の反応
日本が1年以内に沈む、というシミュレーション結果が出た際の田所博士の反応が変である。
あの状況なら、先ずシミュレーション・プログラムのミスとか与えたデータの誤りとかを疑うはずだ。なのにシミュレーション結果を信頼してパニクっている。
リアリティが無い、という悪評も聞いていた。
・ 阿部の細腕でハイパーレスキューは勤まらないだろう
・ 交通網がマヒしているハズなのに、小野寺はどうやってあちこちに行ったのか?
・ しかも服が汚れてない
・ 鷹森大臣も避難時なのに化粧がバッチリである
ただ、これらは感動の邪魔をしないための嘘であり、映画の目的に沿ったものである。ロジックより感動を優先させる映画に於いて、そのような嘘はあってしかるべきだ。
どうせ嘘をつくなら、計画的に確信犯的につきたいものである。
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