パラダイス/ナウ(ハニ・アブ・アサド)

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「特攻隊と全く違う」と石原慎太郎に言われた自爆テロリストの映画である。
効果音楽は鳴らず、感動を煽るような演出も無い。
展開は速からず遅からず、ストーリィは現実味がある。
地味な映画である。
しかし、退屈な映画では無い。
 

以下、ネタバレ注意!

自らの命を犠牲にして、敵を倒す。
それほどまでに、倒したい敵なのか? 伝えたい主張があるのか?
 
特定の個人ならともかく、不特定多数の「軍隊」に対してそこまでの思いを持てるものなのか?
そう思っていた。
でもそれは間違っていた。
 
敵を倒すため、自らの命を犠牲にする。
それほどまでに、価値がない命なのだ。意味のない生活なのだ。
 
主人公の片割れは、父親こそ居ないものの家族と共に生活している。
職を持ち、食べるには困っていない。
心を許せる親友が居る。
爆撃で傷ついてはいるが、それでも美しい街で暮らしている。
 
しかし、その街は塀と有刺鉄線で囲まれ、要所要所でイスラエル軍が検問を設けている。
圧倒的な武力により、「ご無理ごもっとも」な環境である。
「ここでの生活は牢獄と変らない」と主人公は言う。
そうなのかも知れない。
 
劇中で主人公は、「イスラエル人は犠牲者と思われている」と告げられる。
パレスチナ人がテロリズムを行うから、イスラエル人は軍で制圧を行っている。テロリズムを止めれば制圧も不要となる、と。
そうなのかも知れない。
 
「武力では無くモラルでの戦いを」とも言われる。
テロリズム以外の戦い方が、モラルによる戦い方があるのかも知れない。
主人公はその誘いに答える「でも、相手にモラルなど無かったら?」
ひょっとしたら、相手にはモラルなど本当に無いのかも知れない。
 
殺さなくてはならない相手なのか? テロリズム以外の戦い方は無いのか?
思いを抱えたまま、主人公達はテルアビブの街に侵入する。
そこは、高層ビルが立ち並ぶ、temaには身近に感じられる街である。
今まで映画の中で演技をしていた2人が、急に現実世界に表れた――そんな衝撃を受けた。
主人公の片割れが心を決めたのは、多分この瞬間である。
 
以後、彼の顔からは表情が失せる。
意志と、成すべき事と、事前に行った判断を記憶し、その記憶に従って行動する自動機械。何かをやり遂げようと決心した際、時に人はそのような存在になる。
そのプログラムを止め、封印した感情を解き放つ切っ掛けは、紐の一引き。
 
もしかすると、パラダイスはその一瞬にのみ在るのかも知れない。
 

パラダイス・カフェ

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