ヒューマン−人類−(ロバート・J・ソウヤー)

「ホニミッド−原人−」の続編である。ソウヤーの小説は、推理とS.F.とを兼ね備えた作品が多いが、このシリーズは(今のところ)S.F.のみ。色々ネタはあるものの、推理により詰めていくわけでは無く、問答無用の証拠や超能力で解決してしまう。なまじ、ストーリ展開が推理風味を帯びているだけに、ちと残念。
なお、本編を通しての推理ネタとして「What done it」がある。「Who done it」や「How done it」、「Why done it」では無い。かといって「What time done it」でも無い。それなりに伏線やミス・ディレクションもあるのだが、正直、それが推理ネタとは思わんかった。
 
今回のメイン・テーマは推理では無くメアリとポンターのラヴ・ロマンスである。ネアンデルタール種は一ヶ月の殆どをホモ・セクシャルで、数日間をヘテロ・セクシャルで過ごす、という設定のため恋のライバルが多く、メアリーの中の人も大変である。
ポンターも大変である。本来ポンターは善良な人格で、彼の働きにより、人類/ネアンデルタール間のバランスが取れるのではないか、と思われた。だが、メアリと恋に落ちたが故に怒りの感情を覚えてしまい、本編の最後の方ではダーク・サイドに堕ちてしまう。エピソード3では、きっと評議会を裏切ってくれるに違いない。
でも最後の瞬間には、C・ハク・3POが救ってくれると想像しているのだが、如何に?
 
本編には、推理系の小ネタとして、

などなど。政治ネタが多い。
多元宇宙理論関係のネタもあるが、これはきっとシリーズを通しての大ネタに違いない。
この内、「徴兵を行える理由」について気になった。
 

以下、ネタバレ注意!

 
本編中で、ポンターは以下の旨の考察を行う。

キリスト教では、死者は魂となり天国/地獄に行く。戦争で死んだ人々は、死後の世界で幸福を得ていると思っているのだ。だから、命を軽視し、徴兵により他者の生を無駄にできるのだ。
死後の世界など無い。戦争で死んだ人々は、もう何処にも存在しない。

 
それに対し、メアリは以下の旨の反論を行う。

それでは貴方は、墓の前で祈っている人にその事を言えるのか? 大切な人を失い、死後の世界を心の拠り所にしている人に対して、「死後の世界など無い」と言えるのか?

 
メアリの反論に対し、ポンターは黙ってしまう。
ポンター、騙されてはいけない。
宗教は、個々人の心を救うための道具だ。大切な人を失った人が、自らの心を救うために死後の世界を信ずるのは用法に適っている。
しかし宗教は、政体が目的を達成するための道具ではない。そんな使い方はイエスの想いに反している。救うべき心を持たない政体が、宗教を使用してはならない。
 
「U.S.A.大統領は戦争の開始を宣言する際、ベトナム戦没者慰霊碑の前で宣言すべき」というポンターの主張には同意する。失われた5万8千2百9人の米国民の名の前で、兵士に「戦闘に行き死ね」、と言うべきだ。
日本で言うなら、総理大臣が靖国神社の中で、戦争開始を宣言...これはヤルかも知れない。そもそも、国家神道は戦争の為の道具であり、靖国神社は戦争のための施設だ。戦争開始を宣言する場所として、これほど適切な施設は無いのかも知れない。

ヒューマン -人類- (ハヤカワ文庫 SF (1520))