ネットにおける「根拠」の重要性

 
たんぽぽさんの掲示板にて、以下のやり取りがあった。

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☆ 「トンデモ」の定義 / tema@民法改正の話もしなくちゃ

 とおりすがりさん、多分始めまして。

>根拠抜きに語れないなんてサビシイ人達だね。(後略)

 寂しい人たちである、と判断した根拠を教えて下さい(にやりん)。
 ちなみに、temaの「トンデモ」の定義は「確たる根拠無しに物事を断定する」ということです。なお、本来の意味は以下を参照して下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/トンデモ


No.514 - 2005/09/19(Mon) 23:06

                                                                                                                                                              • -

☆ Re: (No Subject) / とおりすがり

temaさん
ご丁寧にありがとうございます。
ちなみに「「トンデモ」の定義は「確たる根拠無しに物事を断定する」ということです。」とされた根拠はなんですか?
なんにでも根拠根拠とのたまうのはいかがなもんかと。


No.516 - 2005/09/20(Tue) 09:38

このため、「根拠」の重要性について、記述する。
 
実社会において何かを主張する際、説得力が重要である。しかしこの説得力は、様々な力によりバイアスがかかる。というより、様々な力を合算したものが説得力となる。
権力、腕力なども、その力の大きな一因である。論理的正当性は、力の内の一つでしかない。
例えば、医師と患者という状況であれば、その立場が一つの力となる。また医師というブランドイメージも力となる。この場合、論理的正当性は無いが説得力は高い、という状況が発生しうる。
 
一方、ネット社会において何かを主張する場合、権力、腕力は意味がない。二者間の立場も通常存在せず、ブランドイメージも(騙ることができるため)あまり意味が無い。このため、論理的正当性が重要な意味を持つ。
主張の論理的正当性を示すためには、根拠が重要である。このため、(実社会ではともかく)ネット社会においては、主張には根拠が重要であり、根拠無き主張は単なる願望である。
偶然、同じ願望を抱いている人には同意が得られるが、別の願望を抱いている人を説得する力は無い。そのような主張は、存在してもしなくてもほとんど影響が無い。
 
[備考]
ネット社会における説得力には、論理的正当性以外にもう一つ要因がある。
その人の信頼性である。
ハンドル・ネームは単なる個人識別用の道具ではあるが、ネット社会における個人の信頼性を背負っている。別のハンドル・ネームに乗り換えることは可能であるが、その場合、信頼性はゼロに戻ってしまう。
このため、ネット上での固有ハンドル・ネームには価値がある。簡単に乗り換えられるハンドル・ネームは、価値が低いからこそ乗り換えることができるのである。