ジェンダーについて

 
先週末、某社の○○氏から職場に電話があった。
「そちらで作業しているウチの××ですが、10月末で辞めさせて欲しいと言ってきまして…」
えーっ
10月末って、今が10月末だよ。
2週間前の面談では、そんなこと言ってなかったのに。
「突然、次の就職先が決まったらしくて…」
いや、決まったってアナタ。じゃぁ、今の仕事は決まってなかったとでも言うのですか?
そもそも、この職場に何か問題があると言うのですか?
「家から遠いことが問題のようです。次の職場は、家から近いそうです」
通勤に1時間かかる事は、前から判っていたでしょう。それとも、ここ2週間で突然遠くなったとでも言うのですか?
「しょうがないじゃないですか、女性なんですから」
それはまぁ、しょうがないですねぇ
「その上、子供も居ますし」
確かに…
 
サラリーマンの世界においてジェンダーは、このように言い訳のネタとして使用される。
なお、上記の2名は(temaも含めて)男性である。もしtemaが女性であれば、○○氏もジェンダーを理由にできない。
男性サラリーマンの脳内世界においてのみ、この言い訳は有効である。つまり、この場合の「女」というジェンダーは、男性が決めているのである。
 
何かと話題になるジェンダーフリーだが、ひょっとすると「女」というジェンダーは男性が、「男」というジェンダーは女性が決めているのでは無いだろうか?
ジェンダーが問題となるのは、当人が受け入れているジェンダーと社会でブチ当たるジェンダーに差異があるからである。「女」というジェンダーを女性が、「男」というジェンダーを男性が決めるならば、多くの問題は解消できるのでは無いか?
 
特に根拠は無いのだが、「ハイブリッド−新種−」を読みながら、そんな事を考えるのだ。