チャリオンの影(ロイス・マクマスター・ビジョルド)
創元がヤバイ。
もう不渡りを出してしまうんじゃないか、と思う程ヤバイ。
そもそも、本書を出版するくらいなら、なぜヴォルコシガン・サガの続編を出さないのか。とっくに翻訳は終わっているハズだ。
−それは、出版する余裕が無いからです−
余裕が無いのになぜ本書を出版したかと言えば、コレを出したいからである。なにせ、ヒューゴー・ネビュラ・ローカスのトリプルクラウンである。しかもビジョルドだからS.F.ファンも漏れなく購入する、というおまけ付きだ。
こんな仕打ちを受けて、ビジョルドファンは怒っている。否、これは怒りというより別の感情である。
2ちゃんねるを見れば判る
みんな言っている。「とてもコマール」
以後、ネタバレ注意
ご都合主義な物語である。
そんな偶然あるわけが無い、そう思う。
読んでいる内に、「ひょっとして、これはこうなのでは」と誰もが思うシーンがある。
「ベタベタだけれど、そうであって欲しい」と思わされてしまう。
さんざん焦らされたあげく、「その通りだぴょ〜ん」と銀の盆に載せて差し出されるのである。
普通ならば、そんな手には乗らない。仮にもS.F.ファンとして乗ってはならない。
S.F.は夢物語であるが故に、リアリティにはこだわらなくてはならない。幸運に幸運が重なる成功物語など、「無責任男シリーズ」や「ファイナル・セーラー・クエスト シリーズ」で充分だ。
しかし、その幸運に説得力を持たせられるなら別である。
例えば有名なアレだ。
アレの説得力の持たせ方には度肝を抜かれた。本書もさすがにアレには勝てない。
しかし、本書では度肝を抜こうとはしない。むしろ、自然に受け入れられるように書かれている。そこが巧い。
自然に受け入れてしまうものの、その設定は結構S.F.心をそそる。量子力学における多世界解釈の「多世界の干渉性の喪失」を神の御業としているのである。その書き方がまた巧い。
そもそも、ビジョルドは書き方・演出が巧い小説家である。S.F.的なガジェットより、描かれる文化・社会に魅力がある。書かれる文章に魅力が詰め込まれている。
本書はS.F.的では無いが、ビジョルドの魅力に溢れた一冊である。
特に最終章には涙無くしては読めない一文が在る。
最終章を読む際には、誰も居ない部屋で1人で読むことをお薦めする。
決して、満員の東京メトロの中で読むものでは無い。
- 作者: ロイス・マクマスター・ビジョルド,鍛治靖子
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2007/01/30
- メディア: 文庫
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