役立たずな数学

 
4/11の日記にwadjaさんが以下のコメントを書いてくれた。

役に立たないなら、wadjaは詐欺師です。娘には「今は役に立たないと思ってても、きっと役に立つことが一生に一度は有るから」ってゆうてるんですがw

読んだ瞬間、「しめた」と思った。以前お蔵入りにした文章が使える、と思ったからだ。
お蔵で文章を検索した。
消えてた。
 
「算数」は、実生活に是非とも必要である。
しかし「数学」となると、実生活ではまず役に立たない。
例えば微積分が役に立つだろうか?
確かに人工衛星の制御等には必須である。建築の構造計算にも欠かせない。
しかし微積分が発見された16世紀には、人工衛星も構造計算も無かった。
 
まだ微積分はいい。少なくとも力学の発展に役立った。
数論*1が役に立ったことがあるだろうか?
無い。まるで役立たずである*2
 
役には立たないが、数論は偉い。
数学の世界では、役に立たない領域ほど偉い事になっている。
ガウス*3曰く、「数学は科学の女王であり、数論は数学の女王様である」
洗濯や建築を行い、人々の役に立っている女王様が居るだろうか?
そもそも女王様は何らかの役に立つから在るのでは無い。美しいから人々が求めるのだ。
同様に、数学は役に立つから作ったのでは無い。美しいから探求して来たのだ。
 
そんな数学であるが、役立つこともある。
実際には役立つどころでは無い。科学理論は「数学」という言語で記述されており、数学を知らなければ本も読めない。
女王の中の女王様たる数論といえども、計算機科学で使われている。ガウスが知ったら、さぞかし驚くことだろう。
 
ただし、これは数学の本来の姿では無い。数学の目的とは違う。
「数学が役に立つ」という言葉は、「女王様の御身を飾る装飾品を、下賤な者どもが押し戴いている」という意味にすぎない。
つまり
足下に這い蹲る自然科学に対し、数学は靴を向けて言っているのである。
 
「お舐め」
 

ガウス 整数論 (数学史叢書)

ガウス 整数論 (数学史叢書)

*1:オイラーの等式フェルマーの最終定理を生み出した領域

*2:少なくとも70年前までは

*3:数論の凄い人