とてつもない日本(麻生太郎)

 
temaは本好きであるが、それほど大切にはしない。書店でカバーはお願いしないし、袋も貰わない。だが、この本は別である。剥き身で電車内で読む勇気は無い。恥ずかしい本を別の本の間に隠して購入したのは久しぶりである。
買い難い本ではあるが、日本の首相が書いた本である。この政治家はアブナイと思うなら、なおさら読んでおくべきだ。
 
今回は章ごとの概略とその章に対するコメントを記載しておいた。これで忘れっぽいtemaも万全である。
 

はじめに

日本は納期重視である。過労死の問題はあっても、納期を守る勤勉さは美徳である。
日本流のトヨタソニー、カラオケ、マンガ等はグローバルスタンダードである。日本は大いなる潜在力を秘めている。
祖父・吉田茂は「日本はとてつもない国なのだ」と言った。私(麻生)は、その言葉を思い出している。

インドで日本企業が地下鉄を整備し、その際に納期重視だったらしい。それを見たインド人は「価値観が翻るほどの衝撃」を受けたとのことである。
「価値観が翻るほどの衝撃」を受けるのは、インド人は納期にそれほど価値を見出してないからである。
顧客にとって価値が無いものにコストをかけるのは、企業としてちょっとどうか。
あ、これODAだから顧客は日本国政府だった。
 

第一章 アジアの実践的先駆者

日本の戦後復興はすばらしい。
第二次世界大戦にて、日本はアジア各国の民を苦しめた。高度成長期には環境破壊も行った。これらは日本が「失敗例を進んでさらけ出す」タイプの国だという事を示している。それゆえ日本はソート・リーダー(実践的先駆者)なのである。
ODAの実施と日米同盟により、日本はアジアの安定化装置となっている。
日本はアジア各国と、対等な仲間としての関係を結んでいく。

侵略と環境破壊がなぜ「失敗例を進んでさらけ出す」に繋がるのか判らない。
アジア各国と「対等な仲間」としての関係を結んでいく、と書いてる一方、日本を先駆者的な立場に位置付けているのは矛盾している。
 
また別の疑問もある。この本はほとんどが「だ・である」調で記述されているが、なぜか本章の一段落だけ「です・ます」調になっている。その部分を引用する。

念を押しておきますが、私は「日本はアジアで一番優れた国だ」といった短絡的な話をしているのではありません。民族的な優位性を説くつもりもありません。あくまでも歴史の流れの中で、偶然や必然が積み重なって、そうなったということを申し上げているに過ぎないのです。

そうなったとはどうなったというのか。先駆者、すなわちアジアで一番豊かで進んでいる国になった、ということではないのか。豊かさと科学技術が優劣の基準で無いというならば、何で優劣を付けているのか。
 

第二章 日本の底力

椎名林檎谷村新司ポケモンドラえもん。このようなニート世代が育てた日本のサブカルチャーは素晴らしい。ニート世代はパワーがある。
平等は建前、偽りなのではないか。人生は不平等である。皆が高等教育を目指すより、躾などをしっかりした方が良い。

藤子不二雄谷村新司のファンはニート世代だったのか?
椎名林檎ファンがニート世代というのは許せるとして、だからといってニート世代にパワーがあるという論理展開は間違っている。
一方、躾重視の教育論は、三浦朱門*1を思い出させる。まぁ麻生太郎も、ゆとり教育推進時の政治家であるため、しかたないことである。
 

第三章 高齢化を讃える

日本の老人は金持ちである。金持ちで無い人も結構働ける。
カネのある老人には、しこたまカネを使っていただけばよい。ここにビジネスチャンスがある。

「カネのある老人には、しこたまカネを使っていただけばよい。」という文は原文のままである。麻生太郎の魅力は、多分この率直な物言いにある。それにしてもこの言い方はちょっとどうか、と思ったものの、金持ちの老人は自民党支持者が多いため問題無い。
 

第四章 「格差感」に騙されてないか

ロシアや中国は私有財産の平等を追求した。
→でも平等を求める人がロシアや中国に移民することは無い
→結果の平等を進めるべきでは無く、機会の平等を進めるべきである
格差は気のせいである。

ロシアや中国が失敗したからといって、平等がまずい概念だという事にはならない。
結果の平等より機会の平等を、という件については同意するが、これは程度問題である。
そして、今日本では格差による機会の平等が問題視されているはずであり、上記の論理は「平等」「格差」という意味のすり替えを行っている。
 

第五章 地方は生き返る

選挙区に大学を誘致して、成功した。
三位一体改革を進めるためには、地方の財政安定化を図る必要がある。そのためには市町村合併が必要である

この本の中で、一番力が入っている章である。さすがに考えられており、大きな突っ込みどころは見当たらない。
ただ、三位一体改革が進められない理由は役人だけではあるまい。密接に人と土地が結びついた地で故郷を守ろうとする住民、彼ら彼女らの反対も一因である。
このため、地方の財政安定化を図るための市町村合併は行わず、村役場や市役所のみの合併を提案する。これならば住民の反対は少なくなるだろう。
 

第六章 外交の見取り図

たとえ話として、学校に以下の3名がいるとする。
A君:喧嘩が強い
B君:カッコ良くて頭も良い
C君:今ひとつイケてないが、金持ち
この時、C君が学校で苛められないためには、A君に擦り寄るしかない。
A君はアメリカで、B君はフランス、C君は日本をたとえている。日本はアメリカに擦り寄るべきである。「もっとよい知恵がある」ならばそれは結構、ぜひ議論しよう。

ドラえもんで言えば
A君:ジャイアン
B君:出木杉
C君:スネ夫
である。
確かにドラえもんの中でも、スネ夫は苛められず、のび太が苛められっ子である。
だからスネ夫は正しい…ってそれで良いのか?
 
本章では靖国神社についても、かなりの量記述されている。この件については、日を改めて記述する。
 

第七章 新たなアジア主義−麻生ドクトリン

欧州連合(EU)と同様なアジア連合*2を創りたい。
そのために「価値の外交」を進めていく。
「価値」とは民主主義、平和、自由、人権、法の支配、市場経済という「普遍的価値」のことであり日本はどの国よりもその価値を知っている。「価値の外交」とはこの「価値」を重視し、広めていく外交である。

「価値の外交」がどのようなものか判らない。
本章では、カンボジアで「価値の外交」を実施している人が、例として記載されている。

  • 裁判官・弁護士を育成する(カンボジア人の)先生がいる。その先生をコーチする日本人の検察官
  • 地雷の除去を行っている自衛隊OB

また、イラクでの自衛隊活動も「価値の外交」らしい

イラクでの自衛隊活動は兎も角、カンボジアの例は良い話である。良い話ではあるが、それがアジア連合とどう繋がっていくか判らない。
 
どのようなものか判らない以上、賛成も反対もできないが、微妙である。
「価値の外交」の本音は、日本版グローバリゼーションでは無いのか。本家グローバリゼーションは、アメリカ式の政治・経済政策を他国に実施させるという面があり、結果、アメリカ企業が成果を出しやすい世界になっている。日本版グローバリゼーションがアジアを席巻すれば、日本企業が成果を出しやすくなり、temaの給料も上がる…かも知れない。
 
本書全体に対するコメントを、以下に示す。
 
本書の構成は、前半(第4章まで)に景気の良い話を出して読者を引き寄せ、後半(第5章以後)に真に自分が言いたい事を示す構成である。その狙いは判るが前半に隙が多すぎる。多少の隙を見せるのは人間味を示す効果があるが、本書はやりすぎである。

麻生太郎が首相の間に実現しようとしている事は第5章であり、その事自体は反対しない。というより反対する材料をtemaが持っていない。
ただし、第7章で示されるビジョン−アジア連合―は問題である。アジア連合の構想自体は否定しないが、大東亜共栄圏を連想させるものが多すぎる。もしアジア連合を目指すのであれば、靖国に関わらず、軍備を削減していかなくては実現は困難である。そして残念ながら、麻生太郎の言動はそれとは逆方向に進んでおり、そのような人を首相に選んだのはtema達なのである。
 

とてつもない日本 (新潮新書)

とてつもない日本 (新潮新書)

*1:文化庁長官。ゆとり教育を推進した人物である

*2:AU?