パトロンの勤め

 
21_21 DESIGN SIGHTに春氏と二人で行ってみた。
設計者は安藤忠雄。コンクリート打ち放しである。三角形である。
中に入っても直方体の部屋が無い。コーナは常に鈍角または鋭角となっている。
 
展示してあるのは、「光と踊りのインスタレーション」及び「企画〜建築までの試行錯誤」*1の2点である。正直、面白く無い。
「あ、あそこで説明会やってる」
春氏が目ざとく見つける。
 
中庭で設計事務所の人が、大学生相手になにやら説明している。
どうやら、事前に申し込んだ人が聞けるらしい。
春氏とtemaも「ボク達、大学生です」という顔でこっそりと立ち聞きする。
ちょっと無理がある、かも知れない。
 
設計事務所の人は、設計・施工上の面白いことを色々話してくれる。
その中で興味を引かれたのが、エレベータの話である。
 
21_21は、エレベータも直方体では無く、床が台形になっている。
床が台形なエレベータは難しく、様々なメーカに聞いても「出来ません」だったらしい。
そして、とあるメーカの担当者に聞いたところ、その人も度肝を抜かれたのであろう
「んん?!」
「あ、今うん、って言いましたよね」
「言ったいった、確かに聞いた」
「それじゃ、そういうことで」
「よろしくひとつ」*2
 
でもどうせ、エレベータの機械部分なんて見えはしない。
普通のエレベータに内張付けて、台形に見せかけてはダメなのでしょうか?
「それはいけません。そこをちゃんと台形に創るのが、本物です」と春氏。
でもそんなところに予算を使うより、他に使った方が良いのでは?
安藤忠夫に設計を依頼するからには、施主もそのような予算の使い方を期待しているのです」
本当ですか? >施主殿
「本来ならば、屋根だって溶接せずに一体成型すべきです」
いやそれ運べません。それとも、屋根のために近くに製鉄所を造れとでも?
 
まぁ古来より芸術家にはパトロンが付き物である。ここで創られた台形エレベータの技術だって、いずれ誰かが使うかも知れない。
否、たとえ使われなかったとしても良い。
効率のみを考えた建築物は、面白く無い。仮に自己満足であったとしても、その自己満足に共感できる人が一定数居れば、それは芸術となる。
 
その一定数の中に、大抵temaは入ってないのだけれど。
 

お金の使い方でわかる大人の「品格」 (知的生きかた文庫)

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*1:そういう題では無いが

*2:一部誇張アリ

 都知事選

 
週末、都知事選挙がある。
マッチョな発言と国旗国家強制が気に入らないため、現職には投票しないつもりである。
 
でもこの現職、母の評価が高い。
現職に投票しないと化けて出る、と言うのである。
「だってオリンピックを東京でやってくれるかも知れないじゃない」
いや、きっと無理だから。
「でも、他の人だと誘致すらしないじゃない。オリンピック観たい」
TVで観れるでしょうに。ワールドカップの時だって、会場には行かなかったでしょう。
「他の国だと放送が夜中になる。昼に観たい」
 
現職のマッチョな発言を説明しても、「言うだけならタダ」という顔をしている。
もうそれなりの年齢のため、あまり先の事は思い悩まず、刹那的に暮らしてるようである。しかしtemaはまだ若い*1。東京の、日本の未来を考えなくてはならない。
 
temaは社内会議では頻繁に失言をする。しばしば上司に怒られる。
しかし、それでも良いと考えている。
所詮、社内である。失言したからと言って、大きな影響は無い。
失言に対し、それほど御無体な罰則が付くワケでは無いし、他社員やプロジェクトに対するダメージは無い。
しかし社外の会議では、全ての発言は目的を持ち、設計し、計算したものであるべきだ。
計算間違いは仕方がない。
 
最近、現職に限らず政治家のマッチョな発言をしばしば耳にする。
日本国内にのみ関連する発言ならば、まだ良い。後で取り返しが付く。しかし他国に関連する発言は、計算したものであるべきだ。
 
いや、政治家だけに殆どの発言は計算されたものだろう。しかし、それらの発言は、国内に向けた効果しか計算してないように思える。
取り返しの付かない発言をするリーダでは、困る。そのリスクを過小評価するリーダでは、不安である。
このため、temaは現職には投票しない。
 
「投票してよ。私、夜中まで起きてられないんだから」
ビデオに録画しとけばいいじゃないですか。
「生放送がいい」
そうだ、北京オリンピックなら時差は殆ど無い。
 
時差が無くても、北京や福岡ではダメらしい。
「だって遠すぎるじゃない」
TVなら遠くても近くでも同じでしょうに。
この人、単に祭り好きなだけなんじゃないか?

*1:はずだ

 この父を超えよ

 
フィットネスクラブの測定器で体脂肪率を測る。
10年前の倍の値がそこにある。
半年前に比べても5%アップ。
遺憾である。
脇腹をつまむと、軽くヤバ…いや軽く無い。
 
以前の職場に比べて、駅から近い&豪華な昼食という生活が原因と見た。
とはいえ、食事の量は減らしたくない。
というワケで、先週から節酒を始めた。
 
酒はカロリーが高い。しかもアルコール度数に比例して、カロリーが高くなるらしい。46%のグラッパなど、もってのほかである。
 
先週土曜日、実家に行った際に親とそんな話をした。話している側から、缶ビールを持って来る父。
男は黙ってサッポロビール…いやだから節酒中だっちゅーに。
 
体脂肪率、何%なんだ?」
××%です。
「そのくらいだったら普通だ。大丈夫だいじょうぶ
 60越えて腹が出てきたら心配しなさい」と2本目のビールを開ける父。
父さんは何%なんですか?
「この前測ったら12%だった」
 
父親とは、息子が「いつか超えよう」と思うような高い壁であるべきだ。しかし、高すぎてはいけない。
つか孫が居てもおかしくない歳なのに、体力で息子に勝ってどうする。
 
ビール3本&つまみのカロリーを消費すべく、日曜日はフィットネスクラブに行く。
更衣室に行くと、70歳くらいなのに「私、脱ぐと凄いんです」な人がゴロゴロ居る。
きっと息子は切ない思いをしてるに違いない。
 

老人力 全一冊 (ちくま文庫)

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 密かな発見

 
Kosukeさんという人が居る。
時々お土産をくれる良い人である。
実はKosukeさんには偽者が居るらしい。
偽者が居る、という事こそ本物の証である。思えば、あの人にもこの人にも偽物が居た。
残念ながら、temaの偽物は居ない。いつの日か本物の証を手に入れたいものである。
 
たまごどんという人も居る。
時々ネタをくれる良い人である。もちろんお土産だってくれる。
先ほど、たまごどんにも偽者が居ることを発見した。
名を「だまごどん」という。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E3%81%A0%E3%81%BE%E3%81%94%E3%81%A9%E3%82%93&lr=
 
ほかほかご飯に生卵を割り、醤油をかける。「たまごどん」とは本来そのような存在である。
それでは「だまごどん」とは?
小麦粉を水で溶く。熱心にはかき混ぜず、だまになったままのそれを冷や飯にかける。
「だまごどん」とはそのような存在ではないか、と想像するのである。
 

GO! GO! たまご丼

GO! GO! たまご丼

 パラダイス/ナウ(ハニ・アブ・アサド)

http://www.uplink.co.jp/paradisenow/index.php
 
「特攻隊と全く違う」と石原慎太郎に言われた自爆テロリストの映画である。
効果音楽は鳴らず、感動を煽るような演出も無い。
展開は速からず遅からず、ストーリィは現実味がある。
地味な映画である。
しかし、退屈な映画では無い。
 

以下、ネタバレ注意!

自らの命を犠牲にして、敵を倒す。
それほどまでに、倒したい敵なのか? 伝えたい主張があるのか?
 
特定の個人ならともかく、不特定多数の「軍隊」に対してそこまでの思いを持てるものなのか?
そう思っていた。
でもそれは間違っていた。
 
敵を倒すため、自らの命を犠牲にする。
それほどまでに、価値がない命なのだ。意味のない生活なのだ。
 
主人公の片割れは、父親こそ居ないものの家族と共に生活している。
職を持ち、食べるには困っていない。
心を許せる親友が居る。
爆撃で傷ついてはいるが、それでも美しい街で暮らしている。
 
しかし、その街は塀と有刺鉄線で囲まれ、要所要所でイスラエル軍が検問を設けている。
圧倒的な武力により、「ご無理ごもっとも」な環境である。
「ここでの生活は牢獄と変らない」と主人公は言う。
そうなのかも知れない。
 
劇中で主人公は、「イスラエル人は犠牲者と思われている」と告げられる。
パレスチナ人がテロリズムを行うから、イスラエル人は軍で制圧を行っている。テロリズムを止めれば制圧も不要となる、と。
そうなのかも知れない。
 
「武力では無くモラルでの戦いを」とも言われる。
テロリズム以外の戦い方が、モラルによる戦い方があるのかも知れない。
主人公はその誘いに答える「でも、相手にモラルなど無かったら?」
ひょっとしたら、相手にはモラルなど本当に無いのかも知れない。
 
殺さなくてはならない相手なのか? テロリズム以外の戦い方は無いのか?
思いを抱えたまま、主人公達はテルアビブの街に侵入する。
そこは、高層ビルが立ち並ぶ、temaには身近に感じられる街である。
今まで映画の中で演技をしていた2人が、急に現実世界に表れた――そんな衝撃を受けた。
主人公の片割れが心を決めたのは、多分この瞬間である。
 
以後、彼の顔からは表情が失せる。
意志と、成すべき事と、事前に行った判断を記憶し、その記憶に従って行動する自動機械。何かをやり遂げようと決心した際、時に人はそのような存在になる。
そのプログラムを止め、封印した感情を解き放つ切っ掛けは、紐の一引き。
 
もしかすると、パラダイスはその一瞬にのみ在るのかも知れない。
 

パラダイス・カフェ

パラダイス・カフェ

 俺は、君のためにこそ死ににいく(石原慎太郎)

 
本来、映画は監督の世界であるはずだが、かの人が絡むならば話は別である。必ずや、この人の世界に染め上げてるに違いない。
映画は色々な人の思惑を詰め込むより、1人の強烈な人格が作り上げた方が、良い結果を生むことがある。尤もこの映画は見る気がしないので、関係無い。
 
今回ネタにするのは、制作総指揮者のこの一言である。
 

「特攻隊と自爆テロを混同している外国人が多いが、まったく違うものだ! その考えを払拭させたい!!」

http://news.livedoor.com/article/detail/3058991/
 
あ、二言だった。
それはともあれ、言われてみれば特攻と自爆テロは似ている。
何が「まったく違う」のか石原慎太郎は言ってくれてない。言ってくれてるのかも知れないが、記事にはなってない。
 
Wikipediaでは、以下の通り違いを記述している。

これらはあくまで非合法な犯罪者によるテロ行為であり、戦時国際法でその身分が保障される正規軍の軍人が実施した軍事作戦である本項目での特攻とは異なる。国籍を問わず、第二次世界大戦に従軍した旧軍人の中には、このような不適当かつ非礼な表現を不愉快に思う人が多い

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A#.E8.87.AA.E7.88.86.E3.83.86.E3.83.AD
 
もし自爆テロを推進している組織が中心となって国を作り、軍事作戦として実施すれば、この違いは無くなる。
つまり「まったく違う」という対象は、特攻/自爆テロを実施する本人では無く、本人が所属している組織である。
 
このため、「混同している外国人の考えを払拭させる」ことが目的ならば、組織に焦点を当てるべきである。
俺は、君のためにこそ死ににいく」というタイトルは不適切である。個々人の感情を描いても目的とは関係無い。組織として、いかに法を遵守し手続きを踏んだか、そこを示してこそ違いを強調できる。以上を考慮すると、本来あるべきタイトルは「俺は、通達XX-XXXX号の指示に基づき死ににいく」となる。
 
ただし、公舎の中で議決したり命令書に承認印を押すシーンばかりの映画は、さぞかし退屈なものになるだろう。

 ルミナス(グレッグ・イーガン)

 
「数学は自然科学だ!の会」会長、イーガンの最新作である。裏に書かれた解説によれば、「数学S.F.の極北」らしい。
 
tema的に「数学S.F.の極北」は、「宇宙船オロモロフ号の冒険」であった。
しかし、「ルミナス」を一読して思う。数学S.F.には北が複数在る。
イーガンのS.F.は、常に深く掘り下げて考えられている。「ルミナス」もかなり深い…はずだ。でも、そんな方向に掘るか? というか、そんな方向が有ったのか!
確かに極北である。極北というよりむしろ極i。虚数軸の方向に驀進している。
 
イーガンは頭がおかしい。普通、こんな事は考えない。
「宇宙消失」の時も思ったが、まともじゃない。まともでは無いが、論理的には正しい。
 

以下、ネタバレ注意

 
通常のハードS.F.は、既知の自然科学理論(または技術)に幾つかのエクスラメーション*1を追加して、舞台を作っている。
「ルミナス」は、現代数学に1つ2つのエクスラメーションを追加している。そして追加した領域が数学基礎論である。temaの知る限り、数学基礎論にエクスラメーションを追加したS.F.は無い。
 
数学基礎論を使った*2S.F.と言えばアレである。アレの最終章、「画家の署名」は衝撃的だった。
しかし、考えてみると「画家の署名」は確率的に当然の結果であり、現代数学の領域を出てはいない。一方「ルミナス」は、多分かなり踏み出している。
このため、アレは数学S.F.では無いが、「ルミナス」はハード数学S.F.である。
 

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

ひとりっ子 (ハヤカワ文庫SF)

*1:仮説

*2:かすめてる、と言った方が良いか